外資系キャリアウーマン駐在員の日常

貪欲な三大欲求を持つアラサーの頭の中を吐き出す雑記。アメリカの地方都市で駐在員しています。

自立しなくては、という脅迫観念

私はいつも、自立しなければ、と思っている。私の会社では定期的に将来のキャリアについて上司と面談するが、5年後10年後にどうなっていたいのかと聞かれると、自立していたいです、と私は答える。これを言うと、いや1人で暮らしてるんだからもう既に自立してるでしょ、と言われるが、本当に心から自立していたいと思っているのだ。

この、もはや脅迫観念ともいえる気持ちを持つきっかけとなったのは、高校生の時に読んだ勝間和代さんの本だ。私の人生に最も影響を与えた本であるといえる。そこでは「結婚したとしても、女性は年収600万円は稼いでなきゃいけない。それだけあれば自分だけでなく、子供を1人くらいは養える。逆に、稼ぎがなければ離婚する自由すらない。」と書かれていた。この、離婚する自由すらない、という言葉は当時の私にとって衝撃的だった。衝撃的ではあったものの、私の両親は仲が良かったので、それ以上なにかを思うことはなかったように思う。

この言葉を本当に大事だと思うようになったのはもう少し後。知り合い夫婦の関係を知った時だ。その夫婦の夫は定期的に浮気を繰り返していて、1〜2回外で関係を持つだけではなく、たまに結構な本気度合いで外に女性を作っていた。妻はその浮気の数々を知っていて、毎回喧嘩になるものの、結局は離婚しない。なぜならその夫婦には子どもがいて、1人では金銭的にやっていけないから。

私はそれを知って、ものすごく不幸なことだと思ったし、お金の重要性を心の奥底から感じた。その時に頭に浮かんだのが、離婚する自由すらない、である。

そういったこともあって、就職活動時には、専門性があって、転職に困らない仕事、かつ一定の年収が約束されている会社で仕事を探した。その結果、いまは外資系の会社で専門職をしている。

表題の、自立しなくては、という考えとともに結構な年数を過ごしてきたことで、男性の収入に依存したがる女性とは理解し合えないし、正直、女性の敵だとすら思っている。ある意味、彼女たちは正しいし、賢い。女性という生まれ持った武器を生きる手段として使っている。もしかしたら、私にはそれができないから、嫉妬しているのかもしれない。でも、私はそうはなりたくないのだ。離婚なんて今や珍しいことではないし、自分が仮に結婚したとして、かつ、何かがあった時に、自分が我慢するとは思えない。そのときに、離婚する自由すらない、と自分自身に思うことだけは本当に嫌である。だからこれからも、私は自分で自分を養い続けたいと思う。