外資系キャリアウーマン駐在員の日常

貪欲な三大欲求を持つアラサーの頭の中を吐き出す雑記。アメリカの地方都市で駐在員しています。

大切な人が他界した

大切な友人が他界したとの連絡を受けた。まだ実感も何もないけれど、このまま心に溜め込むと私の気持ちが混沌として、どうしたらよいか分からなくなってしまいそうなので、文字に起こそうと思う。

彼はまだ40代前半で、熱ぽくなり、病院に行き、その翌日に亡くなったと聞いた。結婚していなかったが、自分で食事を徹底的に管理していたし、運動も毎日していた。見かけも中身も、すごく若々しい人だった。病気なんか絶対にならないような人だった。

彼はアジア系アメリカ人で、とても大きな会社のエグゼクティブとして働いていた。私の人生において、あんなに、時にうざいと感じるくらいエネルギーが溢れている人はいなかった。常に動いていないとダメな人で、うろうろしてるし、貧乏ゆすりもすごいし、多動症かなと思ったりもしていた。

初めて会った時のこともよく覚えている。その時の私は今よりも全然英語を話せなくて、なのに彼の英語は速くて、思ったように意思疎通ができなかった。彼は私の靴と、私の歯並びを褒めてくれた。その次に会った時も、私の英語はひどいものだったけれど、すごく紳士的に接してくれたことを覚えている。

それから1年くらい経って、彼が私に会いたがっていると聞いて、友人を交えて久々に食事をした。私は、彼は違う女の子と勘違いして私を呼んだと思っていた、なぜなら私は1回目も2回目のときも英語を全然話せなかったから。でも、勘違いしてたわけじゃなく、私であっていた。その日、初めて彼を見た日に、なぜか、すごくかっこよいと感じた。それまではなんとも思わなかったから、自分でもよく分からなかった。彼も何かを私に感じたのか、連絡先を交換することになって、教えたら、今日の君はすごく可愛いね!というメッセージがその場で送られてきた。その日は遅くまで飲みに行って、たまたま2人きりになった時にキスをされた。それがきっかけで、彼がアメリカに帰国するまでの毎週末デートをするようになった。

彼とすごく分かり合えたと感じた日のことも覚えている。彼は次の日仕事だったけれど、食事した後に彼の家でお互いが自分自身のことを朝の4時まで語り合った。英語で話していても、私の言いたいことはニュアンスまで伝わっていたし、彼が言いたいことも自然に頭に入ってきた。次の日になってもまだ一緒に過ごしたくて、彼は午後からの出社に切り替えて、午前はテレビを観たりして過ごした。私たちはやってきたことが全然違うけれど、中身は驚くくらい一緒だねって話していた。

その後、彼は帰国して、私たちはたまに連絡を取るくらいの友人になったが、出張で日本に来た時に一度会って、やっぱりとても居心地がよくて、もっと前に再会していたら、違う道もあったのかな、なんて思ったりした。

 

あと2ヶ月したら、彼に初めてウェイトトレーニングを教えてもらってから1年になるので、その報告をしようと思っていた。私たちが大好きな、今公開されている海外ドラマの話も、連絡しようと毎週思っていた。私が筋トレをするようになったのも、海外ドラマを観るようになったのも彼がきっかけだからだ。先週金曜日には、初めてキスしたバーで私は飲んでいて、そこで彼のことを思い出していて、連絡しようかなあ、どうしようかなあ、と思っていた。

そうやって彼のことを考えていることは多かったのに、今はもう連絡できない人になってしまった。私がそこで連絡を取っていたからといって、今の状況が変わったわけではない。自分の彼への気持ちも、一緒にいる時には自分なりに伝えていたと思う。それでも、私は彼から影響を受けたり、与えてもらった色んなことへの感謝や私の気持ちついて、もっと伝えたいことがたくさんあった。私が今の自分の外見や、仕事へのスタンス、自分のやりたいこと、そういったことに自信をもって、前向きでいられるのは、彼が私のことを認めてくれたからだ。変に遠慮なんてしないで、もっと会いたいって言えばよかった。私だけじゃなくて、彼の家族も友人も同僚も、まだ誰も気持ちの整理なんてできていない。